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イスタンブールの夜は、長い、、、いやはや、とっても


時を遡る事、18年あまり前の1997年の出来事。(うっ、そんな前か...) 常々ロンドンや、パリなどヨーロッパで仕事をしたいと思い、 自作アルバムを携え売り込みに単身訪欧していた事は、前にも書いたとおりだが、 90年代後半になり、別の観点も芽生えていた。 簡単に事が運ばないので、やや嫌気がさしていた事もあるし、漠然とした閉塞感、 マンネリも感じていた。 以前から、中近東の音楽やら、エッセンスがとても気になっていたのだが、 この時期、さらに深く知りたい!という気持ちが強くなっていた。 それはB.Eno / D.Byrneのアルバムの影響でもあり、パリに滞在した アパルトマンのアラブ人のペンキ職人の鼻歌が素晴らしかった事や、 歴史上の重要な文化を築いて来た民族への興味でもあり、 いわゆる西洋とは異質のモノに惹かれていたワケだ。 考えた末、結局トルコ、ヨルダン、レバノンに3週間ほど旅行する事にした。 この時、すでに アンビエント・ユニット :ginette: の構想もあったので、 「音ネタ」を仕入れる、という側面もあった。ポータブルDATと簡単なマイク も携行した。但し、当時の感覚では写真を撮るという習慣がなかったので、 カメラを持たなかったのは、今思えば、残念というしかない。 主に交易の要衝、イスタンブールに滞在していたのだけれど、 そのエネルギーたるや、中々の凄まじいモノだった。 時代はまだ20世紀、これからヨーロッパ諸国の仲間入りをして、経済的にも 発展して行きたい、という活気と欲望に満ちていた、と表現すれば良いの だろうか。。 ご存知かもしれないが、イスタンブールは、黒海へ続くボスポラス海峡を 挟んで、3つの地域から成り立っている。 東はアジア大陸側、西はさらに南北で分かれ、北が新市街、南が旧市街と 呼ばれている。この海の三叉路には、007で有名になった小さな灯台、 メイデン・タワー(現地名クズクリッセ)などもある。

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今回の舞台wとなるのは、新市街と呼ばれる地域である。 旧市街には、有名なイスラム寺院やら、トプカピ宮殿など、 名所旧跡が多いが、ガラタ橋を渡った北側の新市街は、 新しく開発されたのだろう、やや都会的な整然とした区画で成り立っている。 イスタンブールに着いて、2、3日後、フラフラと呑気な観光を楽しんでいた午後、 新市街のやや広めの歩道を歩いていた。 何となく振り返ると、後ろのトルコ人とおぼしき青年と目が合った。 軽く会釈というか、うなずく。25才くらいだろうか。。 どうやら同じ方向に向かっている。ちょっと経ってもまだ後ろから歩いて 来ていたので、どちらからともなく、言葉を交わした。 もちろんトルコ語など出来ないので、英語で。 (正直言って、キッカケは良く憶えていない。) お互いヒマだとわかったので、近くのカフェでお茶する事になった。 外国に行けていいなぁ、とか何とか彼は言っていたのを憶えている。 多分大した会話はなかったけれど、別れ際に 「ガラタ塔」の最上階レストランに友達が働いていて良くしてくれるから、 今晩行ってみないか?と誘われた。 「ガラタ塔」は、新市街に渡って箱根登山鉄道のような市電に乗ってすぐ、 見晴らしの良い丘の上に経つ、観光名所の一つだ。 まだ行っていなかったので、二つ返事で夜の再会を約束した。 基本一人旅が好きなので、多少用心深い行動は、身に付いているつもり。 だが、基本的に、冒険心の様なモノがあるのだろう。 たいていは、何かが起きる。ハプニングしてる〜?(笑) さてさて、ガラタ塔のレストランは素晴らしく、料理も然ることながら、 ベリー・ダンスやら、民族音楽なども鑑賞させて頂き、まぁ充実した 時間を過ごさせて頂いた。 ふと回りのテーブルに目をやると、やたらにスーツ姿のお役人風の 方々が多い。しかも、テーブルには小さな各国の国旗があしらわれていて、 コレはナニかの会合なのか?政治家の皆さん? と???は次々と浮かんでくる。 そんな中、アルコールも程良く入っていて、楽しくなって来ているので、 まぁイイや、と成り行き任せで。。 挙げ句に、お客参加のダンス・タイム?になり、ベリーダンサー嬢を 交えて、オジさん達も舞台にあがり、大盛り上がり。 気が付いてみれば、自分もその輪の中で、from Japa~n とかなんとか 紹介されてしまい、無茶苦茶なダンスを披露、喝采を浴びるハメに。。 何時間経ったのでしょう... 知り合ったトルコ人青年、(そうフセイン君)今度は、 「近くに知り合いのDiscoがあるから...」と誘います。 ま、せっかくですから、とばかり、次の店に向かう事に相成り。 こじんまりしたディスコというか、クラブというか。 それなりに盛り上がっています。良い雰囲気じゃぁナイでしょかw ここイスタンブールでは、東欧系の女子を多く見かけるのですが、 このクラブでも例に漏れず、なかなかの美人さん達も楽しく騒いでいます。 もともとダンス好きですから、この時とばかり、ノリノリwで踊り、 呑み、アル事ないこと会話していた、と思います。 同じテーブルで一緒になった女子と意気投合してparty time !!って、 まあ、想像して頂いた光景で、ほぼ間違いナイでしょうw そうこうしているウチに、東欧美人「喉渇いちゃった、ナニか飲んでイイ?」 「どうぞ!」 と、後ろで 「Shu po ooo ~ n !!」   (あっ、ヤラれたかぁ〜??) お見事、ナ二か奇麗なボトルから溢れる泡、泡、アワワ... 酔いも冷めますネ。(ソレ、高そうデスネ...) というワケでお勘定タイム。 ※当時からトルコのインフレは有名で、1米ドル = 約1,000,000 トルコ・リラ 伝票の数字のケタ数に、目眩を覚えます。 平たく言えば、ぼったくり系のクラブなのでしょうか? 約15万円くらいの請求だったと思います。 友達のトルコ人青年、一生懸命間に入って、交渉してくれている様です。 結局、2万円弱の支払に落ち着きましたが、 「あのヒト達は悪いヤツだ。あんな事する人間だとは思わなかった。」 「もう友達じゃない。。」 等々、まぁ可哀想なくらい落ち込んでいました。 真夜中の新市街を二人、タクシー拾える場所まで歩くワタシらは無言。。 「郊外の家まで帰るのに、少しタクシー代借りれる?」 と別れ際に言われ、感謝をこめて、幾らかをフセイン君に渡し、 この日の宴は、終了! と相成ったのでした。 しかし、心の中にちょっとした疑問は残ったのでした。 「果たしてフセイン君、キミもグルだったの....?」 (終)


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